陰陽説から見る「私って必要な存在?」という愚門

短い梅雨が明けてしまったようですね。
いつもながらに小川(妻)でございます。



中医学には「陰陽説」という考えがあります。
「一つの物事には必ず陰と陽の二つの性質が同時に存在する。」
という考え方です。


表があれば裏があるように「どちらか一つだけで存在することはない」のです。

上が存在するから下が存在し、右があるから左がある。
と、この様に「上だけで、または右だけで存在する」ことはありません。


これは、この世における全ての事柄に言えることです。


例えば、小川(妻)は「2つ年下のかわいい夫がいて、毎日楽しく暮らしていますが(陽)、この夫は甘えん坊で大変手が掛かりイライラする(陰)」
というように、物事には必ず2面性があるということです。


なので、幸せの中にも不幸な側面は存在し、逆に不幸と思われる中にも幸せは存在する訳です。


「勝ち組と負け組」という現代用語がありますが、勝ち組は負け組でもあり、負け組は勝ち組でもある訳ですね。

どの方向から見るかによって、どちらにでも転化する訳です。






よく、思い悩んでいる人にありがちな「私は生きている価値はない」とか
「私は世の中に必要とされていない」などと仰る方がいらっしゃいますが、


誰一人として、この世に必要でない人は存在しませんし、また誰一人として、この世に絶対に必要な人も存在しないということになります。

と、申しますか、そもそも「世の中に必要か、必要でないか」などという考え自体が「真面目か!?」って感じです。


もし、「私は世間に何の役目も果たしていない」とか、「誰からも必要とされていない」などと思う方がいるのであれば、その様に思えるだけで、実はしっかりと役目を果たしており、必要とされているからこの世に存在出来ている訳です。それは決して自分が思い描いていた理想と違うのかもしれませんが、存在している限り「必要」ということなのです。

不必要になる時は、自分が決めることではありませんし、自分が決めてはいけません。

生きているということは必要だからな訳ですね。

色んな方向からよーく見て考えると、そのことが理解出来るはずです。

この世には、まだ私達の知らないことがいっぱいあります。
それを知ることは非常に幸せなことでもあり、また非常にツライことでもありますが、受け入れたくない現実も、見かたによっては案外受け入れられるかもしれません。



人生にも陰陽は存在し、良い時もあれば悪い時もあります。そしてその良い時の中にも悪い面は存在し、悪い時の中にも良い面が存在しているはずです。

「今、ツライなぁ~」と感じても、その代わりに何かしら助かっていることがあるはずなので、無理矢理にでも探してみるといいかもしれません。
そして次に到来するであろう「良い時期」に備えて、今から準備しておけばいいではないですか。


浮き沈みの激しい人生も楽しいでしょうし、平穏な人生を歩むのも素敵です。


どちらがいいかは自分が感じて判断することで、他人が判断することではありません。


なんちって・・・・。



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